第1回:これまでの大震災を振り返る
2016年4月14日に発生した「熊本地震」は、もっとも記憶に新しい巨大震災でした。遡ると、1995年1月17日の「阪神淡路大震災」、2004年10月23日の「新潟県中越地震」、2011年3月11日の「東日本大震災」、そしてM7クラスの地震で見れば、1983年5月26日に「日本海中部地震」が発生しています。
特に熊本県はこれまで長期にわたって大きな地震が発生していない「安全地帯」を自負し東日本からの移住支援や企業誘致などを提案していただけに、自治体や地元経済界が少なからずのショックを受けたという報も目にしましたし、日本海中部地震は「日本海では津波は起きない」というこれまでの俗説が覆された地震でした。
この30数年の間に5回もの巨大地震に見舞われた日本。単純計算するとだいたい6年に1回の割合で大きな地震が発生していることになります。
そして現在、四国沖の南海トラフの「ひずみ」に起因する巨大地震の懸念が高まっており、南海トラフ地震が発生した場合の最悪の被害想定は死者32万人、負傷者62万人、発生翌日には避難所へ400万人を超える被災者が詰めかけ、最初の3日間で不足する食料は3200万食にも達する想定です。
参考情報:産経WEST『四国沖で地殻のひずみ蓄積 南海トラフの震源域』
参考情報:朝日新聞デジタル『南海トラフ地震の被害想定』
そして南海トラフ地震が発生した場合、高知県の試算では約4万人ぶんもの避難所が不足するという、極めて恐ろしい試算がなされています。
各地震研究機関や内閣府発表の資料によっても「M7クラス」の首都直下型地震や東海・南海・東南海地震の発生確率は、今後30年以内に70%と予測されています。
特に南海トラフ地震に関しては「M8クラス」で発生確率87%という数値もあり、これは「いつ起きてもおかしくない」ことを意味しています。それは1年後かもしれませんし1か月後かもしれませんし、もしかしたら1週間後かもしれません。
参考情報:内閣府:防災担当資料PDF『これまでの首都直下地震対策 について』
参考情報:Wikipediaより『東海・東南海・南海地震』
かねてより「地震大国」と言われてきた日本。その地下では4つの巨大な大陸プレートがぶつかり合う場所でもあります。東日本大震災を機に地震や火山などが活動期に突入したと見る研究者も多く、もはや北海道から九州まで、地震に対して根本的に安全な場所は無いと日頃から意識しておくべきでしょう。
近い将来の発生が予測される次の地震災害に対して、一般家庭で今からどのように備えておくべきなのか、どのように日々の生活の中に「備え」を組み込んでいくべきかを、「暮らしに取り入れる防災」という観点から考えてみたいと思います。
熊本地震では発生直後の避難所において、水や食料の不足が問題となりました。最大の要因は、災害時を想定した食料備蓄が適切にできていなかったことです。
震災後のマスメディアによる被災者の方々へのインタビューなどでも、「まさか熊本に大きな地震が来るなんて思ってもみなかったから、備蓄なんて考えてもいなかった」という声が聞かれました。
参考情報:日本経済新聞 『災害時の食料備蓄、東海が最高65% 最低は九州24%』
参考情報:pelicanmemo 『災害時の食料備蓄率 熊本県は28% 全国平均の半分程度か』
参考情報:時事ドットコムニュース 『個人備蓄、機能不全=家倒壊「持ち出せず」-自治体も想定甘く・熊本地震』
【これまでの地震から得る、備えのヒント】
そのような状況の中、住民みずからが日常生活に食料の備蓄という要素を組み込んでいたことで、震災直後に最もキツいとされる3日間を自炊で乗り越えた地域があります。熊本県西原村です。
西原村は農業地帯であるため、自分たちがその年に消費するお米を自宅に備蓄している住民が多いことが苦境を乗り切る原動力となりました。
また個人備蓄をしていたにも関わらず家屋倒壊などで持ち出せなかった方などもいましたが、住民が持ち寄った食料を分け合うことで対応していた点は地域のコミュニティが日常的にしっかりと機能していたとも言え、日頃のご近所付き合いなどが功を奏した一面もあると言えましょう。
地震発生後の避難生活の特徴としてもう一つ挙げられるのが「車中泊」で生活をされる被災者が目立ったことです。
2度にわたる最大震度7クラスの地震と余震が続く状況への不安、一部の指定避難所では損壊により被災者の収容が不可能という状況が、車中泊を余儀なくされる方々を増やしてしまう状況へとつながりました。窮屈で不慣れな車中泊生活により、エコノミークラス症候群を患って大変残念なことに逝去されるかたもいらっしゃいました。
【不便な避難生活を乗り切るための、知恵と工夫と必要な道具】
避難生活が1週間も経ったころから人々が望むようになったものの幾つか、それは「変化のある温かい食事」と「プライバシーが保たれる空間」です。
避難所として設けられた公共施設に入り支援物資として支給される水とパンやオニギリだけの生活でも、しばらく「生きていく」ことは可能ですが、慣れない避難所で隣人との間仕切りが無い集団生活では、徐々にメンタル面が疲弊していきます。
厳しい環境に直面しても、自分や家族だけの空間でホッとひと息ついて体をやすめ、温かい食事ができる。これが可能なだけでも大きな違いが出てくるものです。
そこで役に立つもの、それは「キャンプ道具」や「アウトドア用品」です。限られたライフラインで過ごす野外キャンプ場から過酷な冬山登山に至るまで、不便で不自由・場合によっては完全に孤立している環境で生活するためだけでなく、むしろその状況を楽しむための便利で役に立つ道具やノウハウが数多く存在します。
不便な環境下でもプライバシーを維持できる生活空間となるテント、温かい食事を自分で作ることができるコンロやバーナーなどの熱源、鍋やクッカーといった調理器具があるだけでも、被災時でも生活の質や安心感はグッと上がります。
参考情報:モンベル 『暮らしのなかの防災』
阪神淡路大震災、東日本大震災、そして熊本地震ともに共通して、被災経験者の一部からはこんな声が聞かれました。
「キャンプ用グッズがそのまま防災用品として使えた」
「避難用品にアウトドア用調理器具一式は欠かせなかった」
「夫のキャンプ道具が役に立ちました」
また日頃アウトドア生活に精通したその道のプロたちも、熊本地震で積極支援を展開しました。
参考情報:東洋経済オンライン 『熊本地震で強力支援を展開した山のプロたち』
参考情報:日刊工業新聞 『【熊本地震】被災地に即席テント村−アウトドア店が提供』
キャンプ道具の中でも「テント」は単なる生活拠点としての機能だけでなく、就寝時にも脚を伸ばせること・寝返りを打てるスペースがあることで「エコノミークラス症候群」を防ぐことにも繋がりますし、特に女性にとっては着替えの場にもなり乳児を抱えたお母さんにとっては人目を気にすることなく授乳やオムツ交換ができる空間にもなります。
また東日本大震災では、あちこちの避難所で「子どもたちの居場所」となるスペースを設ける動きが見られました。親と一緒に安心して過ごせる場所があるかどうかは小さな子ども達の精神衛生面でも重要なポイントとなり、不安を抱えた子どもたちが落ち着きなく避難所内を走り回るような状況を防ぐことにもつながります。テントが1つあるだけで、こうした場面にも柔軟に対応することができるわけです。
余裕があれば予備に「一人用のテント」があるとさらに便利です。着替え専用や簡易トイレを使う際の覆いとしても使えるからです。
避難所内での生活は、支援物資配給の受けやすさと(特に行政対応に関する)情報収集がしやすいというメリットはありますが、やはり長期化する場合は生活の質を担保することが重要です。災害の規模が大きくなるほど、政府や行政の対応が被災者一人ひとりに届くまでに時間がかかる様になりがちです。
少なくとも地震発生直後の最初の3日間〜2週間は支援物資が届かないこともあらかじめ想定して、乗り切るために必要な道具と物資は自分たちで備えをしておくことが重要と言えるでしょう。
何より大切なことは、そのための道具や物資の扱い方に日常的に慣れ親しんでおくことです。防災用品を備えておいても、いざという時に使い方が解らなかったり、必要なものが足りなかったりすることは防ぎたいものです。
災害を防ぐ「防災」というよりは災害が起きた場合に備える「備災」という視点を持ちつつ、日常生活や休日ライフにアウトドドアグッズの活用を取り入れることで、楽しみながらも有事に備えることができるのではないでしょうか。
次回の第2回コラムでは、「基本的な防災用品と避難生活の理解」という視点をテーマにお届けします。