4/19に霧島連山の硫黄山が噴火しました。連続噴火は20日朝に停止したものの現在も噴気が活発に出ています(灰は含まれておらず)。硫黄山での噴火は前回が1768年ということで、実に250年ぶりということです。
直近では4/7未明から噴気によると思われる大きな振動が観測され、気象庁が警戒を呼びかけていました。硫黄山では3月にも山体隆起と火口周辺での地表の高温域の拡大が確認されています。
気象庁の火山情報によれば、硫黄山では少なくとも今年2月にも火山性地震が確認されている観測データが公開されています。
出典「気象庁:霧島山(えびの高原(硫黄山)周辺)の火山観測データ」より
出典「気象庁:えびの高原(硫黄山)周辺 硫黄山南側斜面の地表面温度分布」より
硫黄山の近年の活動として、火山性地震は2013年末から発生、2015年2月には山体隆起が確認されていました。また、2016年の2〜3月には、硫黄山南側斜面の地表面温度分布が拡大し、噴気地帯が増加しることが気象庁が公開している温度分布画像から確認できます。
硫黄山の歴史と鉱物資源としての硫黄
硫黄山の歴史としては、有史以降で確認されている噴火はマグマ噴火で2回。西暦1300年〜1500年頃に最初の噴火があり、前回が1768年でこれが2度目の噴火。そこから250年目の今回が3度目の噴火となります。
硫黄山を利用した産業として、明治30年〜昭和30年ごろまでは噴気を冷却して「硫黄」の採取が行われていました。火山の多い日本では古くから硫黄の生産が行われていた記録があり、8世紀に記された「続日本紀」には信濃国(現・長野県米子鉱山)から朝廷へ硫黄の献上があったことが記されています。
16世紀の「鉄砲伝来」以降、硫黄は火薬の材料として、中世以降は日本各地の硫黄鉱山開発が活発になっていきます。江戸時代にはマッチの前身的な位置づけとして硫黄を杉やヒノキの薄片に塗りつけたものが使われました。
昭和20年代には硫黄は「黄色いダイヤ」と呼ばれるほど価格が高騰・花形産業になりましたが、昭和30年代以降は資源の枯渇や石油由来の硫黄生産への移行・大気汚染規制強化などもあり、昭和40年代には国内の硫黄鉱山はすべて閉鎖となりました。
活発化する火山活動とどう向き合うか
近年の九州地方では、続々と火山の活動が活発化しています。桜島の噴火はもはや日常の一コマになっている感もありますが、今まで目立った活動が見受けられなかった火山が次々と噴火したり、火山性地震が増えてきています。
また、本州でも火山の噴火や火山性地震の増加があったり、東北でも火山の活動が認められたケース(秋田駒ヶ岳など)があるので、発生が想定される巨大地震と併せて、火山の噴火が「他人事」だと思わずに、近くに火山がある地域では今後の爆発的噴火の可能性などにも留意しておいて損はないでしょう。
地震大国かつ火山大国でもある日本に住む以上、これは避けられないことです。「今まで起きていないのだから、今後も起きないだろう。自分だけは大丈夫」という「いわゆる正常性バイアス」が、大きな災害時に想定外の被害を生むことがあります。
火山噴火だけでなく過去の大震災の事例をかえりみても、備えていた人たちとそうでなかった人たちの間では「震災発生直後の生活の質」に大きな差がでることは明白です。
- 雨露をしのげる
- 寒い時期なら暖を取れる
- 体力を維持する食料や飲料水がある
- 衛生的な生活環境を維持するための道具がある
最低限これらのものが必要となりますが、自然災害である以上はある程度「運」も関係してきますが、それでも備えておく必要があることに間違いはありません。